Chiharu Saito
無邪気さと諦め。
ハルスタイルのハルです☺
今日は、恒例の月一交換セッションの日
けいちゃんのサロンへ行ってきましたよ。

いつものごとく・・・
やっぱりお昼まで弾丸トーク・・・笑
アジアン弁当食べてトリートメント開始しました。
私が受けたのは、音叉トリートメント10のプロトコルの4回目「肺ver.」です。
「肺」には、悲しみの感情が主に表れるそう。
ベッドに横になりアファメーションをしてはじまりです。
一番最初に感じたのは、音叉の振動が身体の中に波のように流れてきた。
細胞がざわざわ~っと振動していくけど、ある場所にくると障害物にあたったように感じた。
流れない部分があるようなそんな感じだった。
それを感じながら、私の意識はどこかへいってしまい・・・
でもところどころ、何かを感じて何かが見えてる・・・でも、その映像が思い出せない。
切なさ。
というか・・・
孤独。
というか・・・
そんな何とも言えない感じを身体のどこかで感じていた。
仰向けから、うつ伏せになって
すごく身体がずーんと重い・・・
頭の中の映像は、動けない自分・もがいている自分。がいた。
トリートメントが終わってなんともいえない切なさを感じて、少し戸惑った・・・
ふ~
なんか、なんか、なんか・・・
いま、このブログを書きながら、眼球がうるっとなる。
トリートメントが終わると、けいちゃんが受け取ったイメージを私に伝えてくれる。
・ 最初は黄色と緑(ライムっぽい色)が見えて、無邪気な子供だった。
・ 手を伸ばすけど、誰かにその手を振り払われる。掴んでもらえない。握ってもらえない。
・ 「ハイハイ、わかった」と相手にしてもらえない。
・ 「ハイハイ、わかった」が沢山きこえる。
・ わかるでしょ!自分でやって。
・ 誰も話を聞いてくれない。
・ 子供ながらに、だんだん仕方ないよね・・・とおもうようになる。
・ どうせ自分なんて相手にしてもらえない。
と、トリートメント中に受け取ったイメージが上記のような事。
これを聞いて・・・まさに、自分の幼少期、感じていたような事。
腕(肺経、肺からのツボの道筋)に音叉をあてていた時は、なんども何かを掴もうとする動作をしていたそう。
無邪気な子供だったはずが、相手にされず周りの雰囲気を読まなくてはならなくなってた。
母の事が大好きだった。
くっついていた記憶ももちろんある。
でも、私が2歳か3歳で父が他界し、そこからはいろんな意味で母一人で大変だったと思う。
正確には、父が他界する前からある事情で大変だった。
母の実家に預けられることもしばしば・・・
ようやく自宅へ送ってもらって帰ってきたとおもったら・・・
「おかあさん大変だからまたおじちゃんちに泊まるね」って母に言ってまた車にのっていちゃったとか。
母は、「あなたは、小さいころから気を使っていたみたいだった」と私の事を言っていた。
4人姉妹の末っ子、私だけ年が離れている。
いつでも”みそっかす”
何かすれば、あんたは甘えてる
一番下は、いいなー
考えがあまい
散々言われてきた。
49歳の今になっても
「4番目は甘ちゃんでいいなー」って親戚からいわれたり。笑
今日、改めて奥底にしまい込んだ感情に気付くことができた!
「無邪気さと諦め」
家族というキーワードにも、少々マイナスなイメージを感じてる。
まだまだ、自分の中の孤独な自分と向き合う必要がありそうです。
4回目の音叉にして、やっとしまい込んだ感情が見え始めた!
アロマ音叉、5回目が楽しみです。
最後に・・・
今、ここに存在させてもらえていることに感謝しています。
長くなりましたが・・・
寝ます!!笑
おやすみなさいzzz